私って、もしかして仕事ができないヤツ?
早くアラートあげてくれなきゃわからないよ。
上司から言われる言葉。
最初はできると思うのだけど、いざ進めてみると色々な障壁があったりする。それでいつも立ち止まって、どうしたらいいのかわからなくて時間オーバー。
仕事の全体像が把握できていないことも原因だ。
いつも、自分の仕事量がコントロールできなくて、最終的にキャパオーバーになっちゃう。
それで残業しちゃって疲れ切って、メンタルにきちゃう。
んで、今みたいに私って仕事できないヤツなんだな、と自己嫌悪に陥るという負のループ。
少し疑問なのが、仕事の采配をして部下がスムーズにこなせるように導くのが上司の役目のひとつではないのだろうか?
言い訳かもしれないけど、ひとつ、どうしても押し付けとしか思えない業務があり、納得がいかないこともある。
組織の人間である以上、ある程度自分の意見を言った上でダメだったら、引き下がってやるしかない。
会社への不満はそこからもきているのだろう。
スケジュールたてないから仕事量のコントロールができないんだよ。と言われるが、それはたしかにそうだけど、たててる時間あったら、1つでも作業終わらした方がよいのでは?とも思う。
ヤキモキしている反面、仕事以外でやってみたいこともある。
このままだと有言実行できない人生になりそうで嫌だ。
人間余裕があったらやるもんでもない。やる人はどんなに忙しくてもやる。
でもさ、でもさ、そこまで自分は熱血でもないし、好きなことはやってみたい、それだけなんだよ。
慢性的な人手不足という事実はあるから、物理的に無理だなと思うこともしばしばあった。
好きなことならちょっと辛くてもやれるのかな…わからないな。
最近また混乱中。
やらなきゃいえないことが多いと、余裕なくなっちゃう。
コントロールか。そんなできるヤツになりたいけど、なんやかんやスマートな自分は想像できないw
ゆる〜く生きていきたいなあ。
励まして優しい人。笑
予想していなかった「ありがとう」の言葉
先週の木曜日、早めに仕事を終えて鎌倉へ散歩に出かけた。
紫陽花はもう散り際で、花びらが少しくたびれているような気がした。
それでも、自然の美しさは仕事で疲れた心を癒すようで、紫陽花をみるたびに心が和む。
いつもより人通りが少ない小町通りは、大学生くらいのカップルが身を寄せ合って歩いていて、小雨の中その風景をカメラにおさめてのんびりと過ごした。
鎌倉八幡宮でお参りをして、参拝客の絵馬をみて、階段を登ったところから見える鎌倉のまちを眺めたあと、午後18時、JRの鎌倉駅を出て、家へ帰った。
最寄駅に着いて線路を渡ったところに、一匹の三毛猫がちょこんと道端に座っていた。
か細い声で「ニャア」と声をかけてきて、おそるおそる手を伸ばしてみたら、私が触れることを許してくれた。
撫でると骨張っていて、痩せているようで少し心配な気持ちになっていたところに、目の前の寂れた不動産から70代くらいと思しきおばあさんが降りてきた。
「あら、お姉さんに可愛がってもらってよかったわね」と優しい声で呟くと
「さ、そろそろお店をしめるわね」と、誰に言うでもなく、不自由そうな足取りでお店の中に再び入っていった。
すると、三毛猫が、するっとお店の中に入ると同時に「もう入るの?」とおばあさんが三毛猫に問いかける。
どうやら、この三毛猫の飼い主らしい。
ちゃんとご飯をくれる人がいたんだ。よかった。と、さっきの心配がなくなって私も帰ろうとした瞬間
「ありがとうね。」
と、おばあさんが私に言った。
感謝の言葉がくる予想をしていなかった私は、「あ、はい」と少し戸惑いながら、同時に心がすごく温かくなった。
今まで、何かをして、それに対するお礼は受け取ってきた。
それは予想された「ありがとう」の言葉だった。
けど、その日の「ありがとう」は予想していない言葉だった。
鎌倉の紫陽花で癒されていたところに、温かい言葉。
なんだか心が充実した瞬間だった。
無理に合わせない、合うものを選んでく
年齢重ねるたび、自分の求めてるものとか、好きなものがはっきりしてきた。
20代前半までは、「もっと頑張らなきゃ」「できるようにならなきゃ」て、合わせる努力をしようとしてきた。
いまは、合わせる努力よりも、自分に合ったことを見つける努力をするべきって思う。
恋愛でもそうだけど、相手に合わせようとすると大抵うまくいかない。
仕事も同じだと思う。
今日、担当タスク量と、スケジュールの相談をしたら、この仕事量をこなせないのは厳しいという返答があった。
ひとつひとつの案件にかかる時間は、セクションごとに自分なりに把握しているので、それを逆算した上だと、自分のキャパシティは超えていることがわかったし、キャパを超えた場合、精神的に弱い私はパニックになって、余計仕事が回らなくなるのが明確だった。
それに、何より自分が求めてる働き方とはちがった。
ひとは良いし、好き。それにお給料も不満はないけど、無理をしてる自分に気づいた。
それが気づけただけでも、ひとつ収穫だなー。
自分の職種が合っているのかも、冷静に考えると疑わしいかも。
まぁ、土日はしっかり休みますか。
おやすみ。
断る勇気と自分のキャパ
最近あたまが回らない。
仕事が終わらずに深夜まで仕事をしてしまう生活が続いて、思考能力も停止してしまったようだ。
なんでできないんだろう? と自分を責めてしまうのだが、なるほど周りの人は自分ができるキャパをわかっていて、キャパを超えると判断したときは断っているらしい。
どうやったらそれができるんだろう? 難しい。
自分のキャパを知って、早い判断をくだせるほうが、仕事をうまく回せるんだろうな。
見えない景色
私は昔から飽きっぽい。コツを掴むのが早くて上達するのは早いけど、ある一定のラインまでくると、それを超えることができない。
勉強でもスポーツでもそうだった。
中学のとき入ったバドミントン部では、シャトルを打つタイミングを掴むことができて、すぐ試合にでた。でも、だんだん、部内の試合にも勝てなくなってくる時期がきた。
社会人になってからも、仕事を覚えるのは早いけど、その先に到達することがなかなかできない。
最初はどんどん上に登っていけるけど、ある時、透明なガラスでその先が閉ざされてるような感覚。周りにはそのガラスはなくて、みんな雲の上まで登っていってる。
どんな景色が待ってるんだろう。
飽きっぽいというか、途中で降りて、また0からのスタートをしたいんだと思う。きっとこの道なら、雲の上の景色が見えるはずだ!って、期待する。
いま、見えないガラスのラインにきてる気がする。
ずっと、見えない景色を追い求めてる。
誰かのせいにしてしまえ。もっと私を可愛がれ。
仕事で指摘されると、嫌な気分になる。
今日はまさにそんな日だった。
プロジェクトの進み具合が遅いのはわかっていた。でも、どうすればいいのかわからなくて、ふわふわしていた。
何を相談すればいいのかさえわからなかった。自分に非があるのはわかる。だって、進むべき道がわからないから。
人のせいにしたい。でも、うまくいかない時、いつも自分を責めてしまう。そうゆう性格。
道案内をしてよ。スタートラインにも立てずに、ずっと立ちっぱなしは疲れたよ。
もっと、人のせいにして楽になりなよ。
自分のこと、もっと可愛がりたい。
27歳、なんとなく先がみえる、気がする。
27歳のいま、絶賛今後のキャリアについて悩み中。
出版社のPRポジション→事業会社の広報
ときて、やはりマスコミ側へ戻りたいという気持ちが強くなってきた。
理由は色々あるが。
とはいえ、まだ転職して1年で、際立った成果も出してないから、すぐ結論を出すのは早い。
今日、「編集 未経験」で検索してみたが、27歳って、第二新卒にもならないし、経験者採用パターンが多くて、そうゆう年齢になったんだ、と改め気づいた。
コンテンツをつくって、それを形にして発信していって、携わった作品を世の中に残したいという気持ちは消えない。
いまはWeb編集に興味を持ち始めたけど、今から方向転換するのは怖いという気持ちは正直ある。
でも、人生後悔したくない、とも思う。
27年間生きてくれば、色々な人と出会う機会があって、その中から、ある程度人生がパターン化されてくる。
そのパターンを自分に当てはめて、いま、Aの道を選んだ未来はこうだなとか、Bの道を選んだ未来はこうだ、とか、今後がなんとなくだけど、見える気がした。
もちろん、ちがう未来が待ってるかもしれないけど。
だから、このままこの会社にいて、広報を続けた場合の未来が予想できた。それが、なんだかつまらなかった。
先が見える安心と、見えてしまう退屈さ。
そして、予想されない未来へ飛び込むパワーが私にあるか?という不安。ザワザワする。
「いくつになっても、何事にも挑戦!」みたいな記事をよく見かけるけど、かなりのパワーが必要だし、日々仕事して、土日たまった家事して、ジムいって、という生活をしてる中、プラスアルファのことに時間と労力を費やすことはとても大変だと思う。
誰しもが挑戦できる可能性はもちろん秘めてるけど、現実的ではない。あとモチベーション保つのも大変で心も身体も休まらない。
でも、「変えたい」て思ったら、やはりどこかで覚悟する必要がある。
いまの私は、「変えたい、かも?」くらいの気持ち。
だからとりあえず、あと1年間は広報やってみようかと思う。
ある意味、会社使ってSEOとか、ライティングとか、自分が挑戦したい分野にタメになりそうなこと学んでいける環境にあるから、活用していこう。
うまくいくかわからないけどね。笑
そしたら、もしかしたらもしかしたらだけど、1年後、予想外に面白い未来が待っている、かも?