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ただの雑記です。

次はどの街に住もうか

『吉祥寺だけが住みたい街ですか?』を久々に読んだ。

 

 

世田谷区に住んでいた私は、コロナで在宅勤務になってからお金がもったいないという理由で神奈川の実家に戻った。

 

1〜2カ月も経つと、ふつふつと一人暮らしの自由さが恋しくなってくる。あと、アラサーで実家にいることの、なんだかよくわからない焦りと後ろめたさがある。(わかるひといますかね…。)

 

 

毎日スーモやホームズやらと睨めっこしているんだけど、なかなかよい物件が見つからない。

その上この前は審査に入っていた物件が貸し止め(募集停止になること)になることもあった。(まれに起こるらしい。不運だった…。)

 

バストイレ別、2階以上、独立洗面台、バルコニー、などなど…予算8万円ともなると、都内は限られてくる。

 

1万円でも会社から住宅補助が出ればなぁ、としみじみ思い、補助がでる会社に勤める友人が10万円のマンションに暮らしている様子をインスタのストーリーで見ると、この差はなんだろうとも虚しくなる時がある。

 

 

探していて思ったけど、物件はやはり値段相応のスペックだ。

 

前に住んでいたところは、鉄筋コンクリート、オートロック、駅から10分以内の世田谷区だったけど、とにかく外の道路がうるさいのと、隣人の声に毎日悩まされて軽く病気になりかけた。

 

今探しているところも、条件はいいけど4階で階段なしとか、デザイナーズですごく綺麗だけど駅から20分とか、そんなかんじだ。

 

都内の中心で満足のいく住まいとなると、10万円はやはり必要なんだ…と思う。

 

 

でも、『吉祥寺だけが住みたい街ですか?』を読んだら、建物単体だけを考えるんじゃなくて、最寄駅からマンションまでの道のりとか、周りの雰囲気とか、自分が住む街そのものを好きになれる場所がいいなと思った。

 

私は、建物は古くてもいいけどベランダから都内の景色がみれて、緑が比較的多くて静かなところに住みたいなぁ。

 

雑司ヶ谷なんてどうだろう?ファミリー層も多くて穏やかだし、なんだか少しサブカル感もある。東横線に通じてるから、渋谷とか代官山とかにも出やすいな。

 

 

秋には家を出て、新しい街に住もう。

 

 

失くすこと、いまできること

一緒に暮らしてる猫の命が危なかった。

 

 

 

どうして、もっと気をつけてあげれなかったんだろう、

病院で嫌な処置されて、辛かっただろうなぁ、て、すごい心が苦しくなった。

 


ベッドで目頭が熱くなった。

 

 

 

 


大学1年生のとき、可愛がってた近所の野良猫たちが保健所に連れて行かれるときも後悔した。

なんで、親が保健所に連れて行くこと決める前に私が動いて里親を探してあげれなかったんだろうって、苦しくなった。

すごく後悔した。自分に苛立った。

保健所に連れて行かれる日は、私は学園祭の準備で泊まり込みが決まっていたから、行かないわけにもいかずに彼らに「ごめんね」と言って、家を出た。

大学についてからちょっと泣いた。

 

 

 

高校2年生のとき、一緒に住んでいたおばあちゃんが死んだ時もそうだった。

 


どうして、あのときキツい言葉を言ってしまったのだろう?って。

もっと、優しくしてあげれたんじゃないか?て、何度も反芻した。

 

 

 

 

 

 

手から離れていきそうなとき、もう会えないと思うとき、それまでの行動への後悔が強くなる。

 

 

 

 


思えば私、いつも後悔してるし、いつも反省してる。

 

 

 

 


卒業式では基本的に泣かない人間だった。

小学校も、中学校も、高校も、大学も。

 


それは、例え、卒業してもいつでも会えると思うから。永遠の別れじゃないから。

 

 

 

でも、わからないのにね。

永遠に会えないかもしれないのに。

 

 

 

後悔しない行動をとりたい。

 


できるかな。自信がない。でも、後悔したくないな。

 

 

 

 

 

 

4カ月ぶりに生理きた 元カレにふっきれたサイン

コロナでぶ、そしてコロナストレスにより体調がすこぶる悪くなっている今日この頃。

 

元カレとの不穏な空気を感じた1月末から、精神的に不安定となり、生理が5月11日まで止まっていました。

ストレスって怖い。

ちなみに妊娠の可能性は100%ないです。

 

幹線道路に面したマンションで一人暮らしをしていて、騒音のストレスも重なり体調絶不調になっていましたが、コロナ騒動を受けいったん実家に戻り、数ヶ月ぶりに睡眠がとれました。

いつも明け方5時くらいまで寝れなかったんです。やばくないですか、、、。

 

 

そして、ついに生理がきました。

まだ私、女だった、良かったと安堵しました、、、。

 

いつもは、生理の時はむくむし、イライラしてどか食いしちゃう嫌なものだけど、久しぶりにくると、良かった、て安心します。

 

そして、主に生理が止まっていた原因である、元カレとも、ふっきれたサインとなった気がしました。

 

ほんと、よかったぁ。

 

産婦人科にいって、血液検査もしてたけど、ほんとに生理きてよかった…。

 

体調大事です。

 

無理せず、ゆるく生きてきましょー

27歳、生物学、わたし


「27歳 女性」 「27歳 男性」

 


この2つの言葉からは、異なった印象を受ける。

私が抱く印象はこうだ。

 

 

【27歳の女】

身体も中身もオトナになっている、食べごろの果実や、美しく咲く花ような存在。


【27歳の男】

まだ新緑のような爽やかさがほのかに残り、これから夏や秋を迎える木々ような存在。

 

 

 

男女平等、性差別廃止、こうした言葉が飛び交い、失言をした政治家や芸能人が激しいバッシングを受けるような時代になった。

 

 

性差を豪語する者を擁護する気はないけど、これから27歳になる筆者からしても、「性差」はあると感じる。

 


バッシングをしている"側"の人たちも、政治家や芸能人の発言を薄々「理解できる面もある」と気づいているのではないだろうか。

でも、集団の正義感のようなものが働いて、SNSなどで彼らを攻撃する、みたいな。

時代だなぁ。

 

 

 

 


大学のとき、恋愛学という人気授業があった。

そのとき、教授は「生物学的に、女性が子供を産むベストな年齢は19歳」と言っていた。

 

大学を一浪して入学し、大学3年生になり既に21歳となっていた私は

「早くそれを教えろよ…19歳とか河合塾の浪人館にずっといたわ」と少し気分が悪くなったことを覚えている。

 


つまり、性差を感じる所以は、やはり男女における年齢と生殖能力の違いなのだろう。

 

女は若いうちに子どもを産まなければいけないという義務はないと思う。色々な愛の形がある。

しかし、もし子を望むのであれば若いほうがリスクは減る。

生物学的な問題、それは揺るぎない真実。

 

 

 

誰か忘れてしまったが、かつて哲学者が、不死には不老が必要であると定義したように、何世紀も前から若さは尊く、美しく、儚い。

 

 

 

そんな厳しい現実と向き合いながらも、私はこれから27歳になる。

 


人生のステージにおいて、求めるものは移り変わるという考えがあるのだが、私は27歳というステージに立ったとき、何を必要とするのだろう。

 

 

新しい恋人? 結婚? 子ども? 

もしかしたら全然ちがうものかもしれない。

 


まだわからない。

 

 

 

なんでもいい、見つけていこう。

 

コロナでぶ撲滅への道

テレビをつければコロナコロナ...

STAY HOME, social distance...もう飽きた。私の友達はTwitterだけ…

 

在宅勤務で明らかに運動不足になり、昨日体重計にのったら2kg増えていることが発覚。

 

身体が重いし、シュッとした印象ではなくなったので薄々気づいてはいたけれど、現実を突きつけられてショックを受けた。

 

てなことで、「コロナでぶ」と勝手に名付け、脱・コロナでぶを目指す。

 

いまの私のコロナでぶの状況 2020.4.25時点

身長:166cm

体重:56kg

見た目:デブではないが締まりはない。

うち太もも、お腹、背中、お尻にお肉がつく。

そして顔の二重顎が以前よりも際立つ。

 

【目標】まずは5月末時点

体重:55kg ※1ヶ月1kgペース

見た目:少しだけすっきりしたかな?という印象をうけるくらい。

 

さて、こっからだ。

実際どんなダイエットプランを組むのかが問題。

諸々考え、いったん実家に戻ったら、小麦粉の摂取量が明らかに増えてしまった。

 

「無理なく健康的なダイエット」がポリシーのため、ひとまず下記のことは守ることとする。

・毎日ストレッチする。

・水をたくさん飲む。

・夜の炭水化物は控える。

・なるべくきちんとした時間に寝る、そして起床(電子書籍が捗って、2時就寝が通常パターンになっていた)

 

具体的な筋トレプランは、理想は毎日だけれど、どうせできない。

週2回は下記をしよう。

・スクワット10×3

・尻トレ10×3

・腹トレ10×3

・足トレ10×3

 

ひとまずこんなもんかな。

乞うご期待。

 

 

 

新しい恋の始めかた

「会って話がしたい」

 

メッセージをうつ手がこわばる

 

 

 

 

送信を押しても、既読もメッセージも返ってきませんでした。

 

せめて自分の中でもキリをつける為に「さようなら」と追伸。

 

 

 

数十年ぶりの恋はあっけなくも終了。

 

 

 

 

それから2週間ほどが経ち、完全に忘れることは難しいようで、彼のことがたまに頭にちらつく。

Pretenderの歌詞がちょっと心に刺さっちゃったり。

 

新しい恋をする元気があまりなく、大人しく過ごそうとしていたけど。。。

 

 

 

先日、会社の先輩たちとの開催された飲み会にてかっこいいと思っていた(造形的な意味で)方もいて、飲み会後、なぜか彼からチャットがくるようになった。

どうゆうつもりなんだろう。(LINEは知らない)

 

ひとつの恋が終わった直後なので、少しキャパオーバーになりそう。

果たして恋愛的な意味なのか・・・なんか考えを巡らせること自体も疲れるw

 

 

勉強は、やればやるほどできるようになるのに、恋愛は毎回ゼロからのスタートなので、偏差値と関係ないなぁとしみじみ。。。

 

 

一体、どうゆうつもりなの〜〜〜

在宅勤務だから会うこともないし。。。謎が深まるばかり。

 

そして、自分がこんなに恋愛について悩んじゃう人間だったのかと改めて認識。

はぁ〜〜〜

 

 

新しい恋の始めかたって、みんなどうしてるんだろう。

 

 

 

週明けも在宅勤務。

うまいことリフレッシュしながら頑張ろう。

 

 

 

 

 

 

 

ほんとうに、友達っていえるの?

なんだかんだ、学生時代から定期的に会う友人って、みんないるんじゃないだろうか。

 

でも、その関係性は本当にこれからずっとつないでいくべきなんだろうか。

そう思う出来事があった。

 

Aとは、中学からの付き合いだった。お互い学力も同じくらいで、背丈やどこか世間を冷めた目で見てるところも一緒だった。

“親友”とまではいかないけれど、親しい友人という認識はあった。

中学卒業するとき、人伝えで聞いた。

「Aって、慶應受けてたけど落ちたらしいよ」

 

私への報告義務はない。でも、本当に一度も聞いたことがなかったから、Aの中での私の存在は、とても小さいものだったんだと、少し悲しくなった。

この一件で、私の中でのAの存在も変わっていった。

 

大人になってからも、会う機会があった。

2020に入ってから、私に容姿端麗な彼氏ができたと、Aに伝えたときは、「大ニュースだ」と言っていた。

 

Aは何年も付き合っている彼がいて、その人と結婚をしたのだが、私は一度も会ったことも、見たこともない。

そんな中、私が彼氏について悩んでいる夜中にLINEがきた。

 

「イケメン彼氏に会わせてよ」

 

私の精神状態も良くなかったけど、さすがにAの神経を疑った。

自分自身は何も言わないのに、なぜ私にそんなことが言えるのだろう。彼氏は見世物じゃない。

 

中学生の時から、少し引っかかる部分はあったが、この出来事が決定打となった。

20代後半、もう無理をするのは止めよう。

私のことを大事に思ってくれる人たちを、私は大事にして、自然体で生きていきたい。

 

必要なく、傷つきたくない。

自分の保身のためではあるけど、人間関係の断捨離も必要だと思った。