失くすこと、いまできること
一緒に暮らしてる猫の命が危なかった。
どうして、もっと気をつけてあげれなかったんだろう、
病院で嫌な処置されて、辛かっただろうなぁ、て、すごい心が苦しくなった。
ベッドで目頭が熱くなった。
大学1年生のとき、可愛がってた近所の野良猫たちが保健所に連れて行かれるときも後悔した。
なんで、親が保健所に連れて行くこと決める前に私が動いて里親を探してあげれなかったんだろうって、苦しくなった。
すごく後悔した。自分に苛立った。
保健所に連れて行かれる日は、私は学園祭の準備で泊まり込みが決まっていたから、行かないわけにもいかずに彼らに「ごめんね」と言って、家を出た。
大学についてからちょっと泣いた。
高校2年生のとき、一緒に住んでいたおばあちゃんが死んだ時もそうだった。
どうして、あのときキツい言葉を言ってしまったのだろう?って。
もっと、優しくしてあげれたんじゃないか?て、何度も反芻した。
手から離れていきそうなとき、もう会えないと思うとき、それまでの行動への後悔が強くなる。
思えば私、いつも後悔してるし、いつも反省してる。
卒業式では基本的に泣かない人間だった。
小学校も、中学校も、高校も、大学も。
それは、例え、卒業してもいつでも会えると思うから。永遠の別れじゃないから。
でも、わからないのにね。
永遠に会えないかもしれないのに。
後悔しない行動をとりたい。
できるかな。自信がない。でも、後悔したくないな。